ネーム・パートナー

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東桜中2年B組の鈴木海斗(すずき・かいと)。彼のあだ名は「ボイス」。
それは、彼にビデオ撮影をして編集し、吹き替えをして、まったく別の物語を作ることができる特技があるからだった。
しかし、それは現実から逃避する妄想癖にもつながっていた…。
ある日、海斗は観光名所のベンチに彫られた河野実央の落書きを見つける…。
【出演】鈴木 海斗 河野 実央 藤本喜久子 モロ師岡 ほか
【脚本】原田裕
【音楽】菅谷昌弘
【演出】佐々木正

http://www3.nhk.or.jp/omoban/main0501.html#20060501002
今週の『中学生日記』。あらすじを読むと一風変わった話で面白そうなんだけど、実際、見てみるとあまり良くないのだった。
まずセリフが硬いし、言葉で説明しすぎだよね。主役の男のコも女のコ(「世界なんて大っ嫌い」というセリフには思わずずっこけた)もそうだけど、いちばん「あらら」と思ったのは大人の実央さんが男のコの部屋で落書きの真相をぜんぶ語ってしまうところ。男のコと御器所先生のやりとりもなんかとってつけたような感じで、感心しなかったな。
あとサングラスとギプス。この2つはアイデアとしてはかなり良いんだけど、残念ながらそれがうまく生かされていなかった。最初、男のコも女のコもサングラスをかけて出てくるから、これは深い意味があるんだろうなと思って見ていると、途中からあっさりと姿を消してしまうのだった。あれは「自閉」と「盲目」の象徴ではないのかなあ。もしそうなら男のコにはサングラスをずっとかけさせて、最後に「好きだ」という(これまたとってつけたような)セリフを言わせる代わりに、そのサングラスを外す身振りと「現実」とはじめて向き合った瞬間の顔を撮れば良かったのでは。
というか、ラストは本当にあれでいいのかな。教育テレビ的にはああしなければいけないのかもしれないけど、私としては共感できなかった。あんなに簡単にギプスを外してしまっていいんだろうか。ギプスをしたまま、杖をついて、足を引きずりながら、それでも生きていく、という終わり方にした方がよっぽど「リアル」だと思うし、「後ろ向きに歩いても前進」というのはそういう意味だと私は考えたんだけど、違うのかな。
他にも明治村の古い壁掛け時計群とか、いいアイテムは出ていたのに、惜しい。大滝詠一の歌も印象的ではあったけど、効果的とは言えない使い方だったように思う。
文句ばかり書いてすみません。