天使の卵

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沢尻エリカちゃん演じる夏姫が画面奥の橋の上から手前の川縁にいる市原隼人くん演じる歩太を発見して走り寄り、自分で作ってきたセーターを出してそれをむりやり着させ、そのまま勢いでキスまで交わしてしまう一連をとらえた長いワンショットを目にするとき、「そうそう、この呼吸だ」と思う。同様に夏姫が予備校の玄関から中へ入りいくつかの教室をのぞいて歩太を見つけるまでの過程を丸々撮ってしまう見事な長回しや、歩太の家の食卓での父、台所の母、歩太、そして屋外の犬の様子をキャメラがパンしながら順々にとらえてそれが1枚の写真に収斂していく流れを見ると、「やっぱり、この呼吸だよな」と嬉しくなる。
山根貞男が絶賛していた、歩太が小西真奈美さん演じる春妃に一目ぼれするシーン。そこから夢中になって春妃のデッサンを描き始める歩太の手つきを映しつづけるところで、決定的に映画に入り込んでしまう。『Bye Bye Blackbird』のオープニングで登場するパラパラ漫画も印象的だったけど、冨樫監督はああいうのを撮るのがうまいね。
他にもたとえば、突然の暗転や窓ガラスの反射、トンネル、効果音の大胆な使用、そして市原くんの表情にすべてを賭けたような美しいラストシーンにおける照明の工夫など、随所に映画的な趣向が凝らされている。しかしそれが本当にさりげないやり方で行われているから、みんな気づかないのか何なのか。それともそんなこと端から興味がないのかな。
シーンとシーンの滑らかなつながりより、ひとつひとつのシーンの中に存在する映画のエモーションを大切にしている点で、冨樫監督はやはり相米慎二直系だな、と思う。ただ冨樫監督の場合は、相米映画のような粘っこさや本質的な凶暴さは感じさせず、さらりとした叙情で全体を優しく包み込む。稲川方人さんの評が読みたいです。『映画芸術』で書いてくれないかな。
ここでのエリカちゃんの演技は、文句なく素晴らしい。これだけ集中したタイトなお芝居を見るのは、『パッチギ!』以来だ。やっぱりエリカちゃんは、「映画屋」と呼ばれる人たちと一緒に仕事をするべきだよ。ちゃんと芝居が見れる監督さんと組んだ方がいい。芝居が見れるというのは、つまり人間が見れるということだ。エリカちゃんの表面のキャラクターではなく、その奥に抱えているものをしっかりと見極めてそれを引き出すことができる監督さんと仕事をしてほしいよね。『パッチギ!』の続編は出演するのしないの? 出演した方がいいと思うけどな。



映画の冒頭でエリカちゃんがあの深い深い声で読み上げる、この宮沢賢治の詩を読んで何か感じるものがある人は、必ず見に行った方がいいです。


宮沢賢治『告別』より

もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ