歌謡曲だよ、人生は

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見てきた。舞台挨拶で、吉高由里子ちゃんの異質さ、異常さを再確認。由里子ちゃん、本当にぶっ飛んでる。。。まず司会者からの質問に対して、どれもわかるようなわからないような独特の不思議な言い回しでしかもあの繊細きわまる声で答えるので、由里子ちゃんが話し始めると会場が一瞬で「?」な雰囲気になり緊張感が高まる。これはヨコハマ映画祭のときもそうだった。さらに他の登壇者がしゃべっているときは、絶えず手足を動かしたり自分の髪を触ったり横にいる水谷監督の顔を何度も見ながら笑ったり。かと思うと、急に冷めた無表情になって虚空をじっーと見つめつづけていたりする。由里子ちゃんのことをよく知らないお客さんたちは、終始「???」だったに違いない。
水谷監督曰く「吉高は、普段はぼーっとしている、とりとめのない人」なんだそう。この「とりとめのない人」という表現は由里子ちゃんの非常に難しいキャラクターをあらわすのにかなり有効だと思う。さらに監督は「でも“包丁”を持つと変わる」「“包丁”を持たせたら日本一の女優」と絶賛。“包丁”に関しては後述するとして、由里子ちゃんはまたもや監督さんに気に入られてしまったようだ。そのうち水谷監督の作品にも再出演するかもしれないね。例によって仲良さそうだったし。
そんな中、極めつけは、最後にひとこと、というところで、由里子ちゃんが何を思ったか突然(本当に突然)「インリンさん、M字開脚見せてください」(!)と発言。隣にいたインリンが唖然としつつ「さすがにここでは無理」と優しく断ると、由里子ちゃんは薄ら笑いを浮かべながら「じゃああとで楽屋で写メ撮らせてもらいます」と。客席は半分は苦笑、半分は凍りついていました。このやりとりを見て私は「由里子ちゃん、マジ狂ってる、、、クレイジーだ、、、」と本気で戦慄したよ。「狂ってる」という表現がわかりづらいなら、「理屈」ではなく「感覚」のまま生きている、ということだ。われわれ凡人はどんなにがんばったって「理屈」や「常識」の範疇から逃れられないわけだけれど、由里子ちゃんの場合はそんなものとは関係なく「感覚」がむき出しのまま自分の「生」とダイレクトにつながってしまっている。女優ではこういう本質的なヤバさを感じさせる人ってほとんどいない。同じタイプなのは以前、名前を挙げたような一部のカルトミュージシャンや画家など、要するに由里子ちゃんは本物の芸術家肌の「天才」なんだと思う。


映画について。よかったのは、ちょうど今回の舞台挨拶で登壇した2作品『ざんげの値打ちもない』と『いとしのマックス』だね。というか、真剣に作ってるな、と感じたのはこの2作品だけだった。
『ざんげの値打ちもない』は、吉高由里子ちゃんに“包丁”を握らせて人を刺し殺させようとした時点で映画としてすでに勝利している。『紀子の食卓』の例を出すまでもなく由里子ちゃんが体現する「殺気」「狂気」は演技以上の(以前の?)ものであり、普通の役者ではまず辿りつけないものだ。セーラー服を着た由里子ちゃんがバイクの後ろにちょこんと座っている初登場のカットから、「そこに当然いるべきもの」としてフィルム上に鮮やかに存在しているさまには毎度のことながら驚くほかない。そして風鈴の音とともに由里子ちゃんと余貴美子さんが一瞬、すれ違う。。。こういうハードボイルドな余さんは大好きです。余さんもこの役はノリノリで演じていたのでは。残念だったのは先日読んだノベライズ本の内容と比較すると、エピソードがだいぶ削られてしまっていたこと。特に由里子ちゃんが道端で落として割れたスイカを食うシーンはぜひ見てみたかった。あれは重要なポイントだもの。撮影はしたけど尺の都合で切ってしまったのなら、DVD化の際にディレクターズカット版を作って入れてほしいなあ。
蛭子さんの『いとしのマックス』は「真赤なドレス」の「赤」の捉え方がなかなか鮮烈で単なるシュールなバイオレンスコメディでは終わっていない。「真赤なドレス」を抱えながら走る武田さんと並んで疾走する横移動のキャメラなどなるほどよい。蛭子さんは現場ではまったく迷いを見せずに演出していたそうで、その迷いのなさが映画に前向きな力を与えていたのかもしれない。場内、バカ受けでした。
その他、気になった作品。矢口監督の『逢いたくて逢いたくて』は小道具の使い方とか密室から開放的な空間へ移動する展開とかたしかに上手いんだけど、じゃあ上手ければいいのかよという疑問が残る。あと伊藤歩さんってあんな段取りくさい芝居をする人だっけ? 七字監督のエアギターもの『これが青春だ』も、くだらない内容ではあるが意外とかっちり作られていたように思う。編集のリズムがよかった。それ以外は思いつき一発で撮られたものとか『世にも奇妙な物語』風とか、あまり感心しなかったね。
それにしても吉高由里子ちゃんには『ざんげの値打ちもない』のような暗い作品が本当によく似合う。由里子ちゃん自身も暗い映画が好きらしい。言うまでもなく由里子ちゃんファンの人は絶対必見ということで。こういう怖い由里子ちゃんは最高です。


紀子の食卓』がドイツで開催されていたハンブルグ日本映画祭にて上映。市川春樹姉さんの『妖怪奇談』も上映されたみたい。他の作品もなんだか不思議なセレクションになっています。
http://www.nihonmedia.de/programm/index.html
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070518-OHT1T00070.htm

赤い文化住宅の初子

http://www.hatsuko-movie.com/
見てきた。東亜優さんはかなりよくて、これは予想以上でした。何よりあの暗い目と猫背が強力だし、『トカゲ飛んだ?』のころと比べても身体がずいぶん自然に動くようになっていて明らかな成長を感じさせた。応援しているコが目に見えて成長していく過程を見るのは楽しい。『16[jyu-roku]』での演技にさらに期待だね。
タナダ監督の演出はスタイルにこだわりすぎている感じがした。スタイルというのはつまり引き画中心の固定ショットの多用のことなんだけど、何かのインタビューで監督が「引きの画にしてその中で役者がどう動くかが撮りたかった」というような話をしていてそれはわかるんだけど、でもそれなら役者をもっと積極的に動かすか、背景に動きを加えるか(ラーメン屋の厨房から湯気が出ていないのがとても気になった)、さもなければキャメラそのものを動かすかしないと画面のテンションが持続しない。またスタイルにこだわりすぎて大切な細部がフォローしきれていないような気がした。兄ちゃんとのあやとりとか電球を付け替える場面なんかは別のスタイルで丁寧に撮れば、もっとガツンとくるものになったように思う。
いつもうじうじして何を考えているのかわからない初子は、ふとした瞬間にハッとするような凶暴な目を見せる。あの凶暴な目がもっと見たい、と思った。もっと本当のどん底まで叩き落さなければいけなかったんじゃないかなあ。東さんなら、絶対にもっと遠くへ行けるもの。あんな暗い、凶暴な目を持っているんだから。。。「“世界”に対する徹底した受動性としての少女」ということで『少女ムシェット』は無理でも『害虫』くらいまで行ってほしかった、というのが正直なところ。


「忍耐とは死にゆくことの受動性」って誰の言葉だろう。


16[jyu-roku]』に期待。


大阪・テアトル梅田では6月9日公開
http://www.hatsuko-movie.com/theatre.html
「東さんの」チラシ!
http://yaplog.jp/hatsuko-movie/archive/41
日舞台挨拶レポート追加
http://cineamuse.exblog.jp/5423063/

スターダスト軍団

竹田真恋人ちゃんがスターダスト所属になって復活。
http://www.stardust.co.jp/talent/317.html
いい事務所に移ることができてよかったね。
それと福永真梨佳ちゃんは名前をカタカナ表記に変えて「福永マリカ」になったのでしょうか。
http://www.stardust.co.jp/talent/132.html
福永御大に春樹姉さんは渡さない。笑