夕映え少女

公式サイト
http://www.fnm.geidai.ac.jp/yubaeshojyo/


日舞台挨拶 記事
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080126-OHT1T00241.htm
舞台挨拶はいつものサイケデリック吉高由里子節でした。笑 もともと炎をボーッと見つめるのが好きな由里子ちゃんは、火に包まれて燃え上がる人間の姿を目撃するシーンの撮影のとき、「人ってこうやって燃えていくんだ、、、」(!!!)と思いながらそれをじっと凝視していたんだそうです。
以下、感想です。

  • 『イタリアの歌』(山田咲)

冒頭、吉高由里子ちゃんの横顔+うなじをとらえたファーストショットとそれにつづく歌の場面がとてもよく、キター! と思いきり期待させるものの、舞台が病院の中に移ってからはだんだん画面の強度が失われていき、しかもお話が進むにつれて演出が悪い意味での心理的な描写の方にもたれかかってしまい、それに合わせて由里子ちゃんの演技も実に由里子ちゃんらしくない硬い小芝居が目立つような形に。『転々』とはまた違った意味で「窮屈な」由里子ちゃんを見ることになってしまった。「時代もの」という「枠」が由里子ちゃん本来ののびのびと自由な芝居力を奪ってしまった、というよりもやはり由里子ちゃんの役者としての特殊すぎる資質を監督さんが把握していなかったのではないだろうか。由里子ちゃんは他の役者とは芝居のあり方・根本がまったく違うのであって、その本質的な違いに演出家がどれだけ意識的になれるか、ということだと思う。だからいつも演出する側の目や姿勢がすごく厳しく問われる。この作品の中で由里子ちゃんならではの魔術的な磁場が発揮されているのはファーストショットだ。あのファーストショットは本当によい。心臓を射抜かれる感じ。
作品としては他にもいろいろともったいない部分があるのですが、ドラマとして決定的に弱いなと感じたのはあの男女の思いをつなぐ小道具が最後まで登場しなかったこと。写真でも花でも何でもいいから2人の間の距離を端的に示すものが何か必要だったのでないだろうか。そういうものが1つでも見つかれば、メロドラマとしての説得力がだいぶ違ってきたと思うのですが。

4本の中ではこの作品があきらかに傑出していました。みずみずしい感性とそれに甘えることのない精緻な演出(2度登場する「鏡」に涙)、「音」に対する鋭敏な感覚(『イタリアの歌』も「音」に対してこれくらい繊細なこだわりがほしかった)、ただボケッと見ているだけではわからないさりげなくも確かな演出力に裏打ちされた素敵な佳作。与えられた物語からより大きなものへ自然とまなざしが向けられていたのは、この作品だけだった。堀禎一監督の『妄想少女オタク系』やこの『むすめごころ』のような映画を見ると心が洗われる。『妄想少女〜』の続編が作られるなら、ぜひこの瀬田監督に演出をお願いしたい。
一部で評価の高い瀬田監督の『とどまるか なくなるか』(タイトルだけで泣ける)が見てみたいです。またどこかで上映してください。

  • 『浅草の姉妹』(吉田雄一郎)

花やしきのゴンドラのスクリーンプロセスとスプリットスクリーンはヘンな感じでちょっとおもしろかった(目が回りそうでした)。韓英恵ちゃんは赤い着物なんか着なくても、そこに突っ立ってただしゃべっているだけでエロティック。成瀬巳喜男『乙女ごころ三人姉妹』の原作ってこれと同じなんですね。

とにかく「風」のとらえ方が見事で、思わずオオッとなるようなショットがいくつも。肖像画(イメージ)の中の女性に心を奪われる、という話はそれだけでとても「映画的」だし監督さんの方もあきらかにそれを意識して撮っているのだろうけど、そのテーマの大きさ、禍々しさに対して演出が端正でちょっと上品すぎる気がした。五十嵐令子ちゃん演じる少女が体現する「魔」のようなものと本気で対峙するには、監督さんの中にもっともっと強い思い込み(野蛮さ)が必要なのではないかと思った。それでもこの低予算でここまでやれるのは立派です。


ところで、山田麻衣子さんのお友だちが東京藝術大学の大学院生なんだそう。へえ。
http://ameblo.jp/yamada-maiko/entry-10068568813.html
吉高由里子ちゃんもこのまま東京藝大に入学しちゃえばいいのに。。。「ザ・女優」とか「ザ・芸能人」ではなく、「学生の片手間に女優の仕事もやってます」といった感じの気楽なスタンスで活動する方が由里子ちゃんには合っていると思うんだけどね。由里子ちゃんはそんなにがんばりすぎなくていいんだよ。